ゴッホ『花咲くアーモンドの木の枝』

ゴッホ 花咲くアーモンドの木の枝

フィンセント・ファン・ゴッホ
花咲くアーモンドの木の枝 1890年

ゴッホの花の絵と言えば、ひまわりの静物画のイメージが強い。花瓶に入った黄色いひまわりの花々が、それぞれの方向に力強く花開いている。

ゴッホは、1888年、都会のパリから自然と彩りを求めて南フランスのアルルに移った。そのアルルで画家仲間と共同生活を送るというユートピアを夢見たゴッホは、誘いの手紙を送ったものの、訪れたのはゴーギャン一人だけだった。『ひまわり』は、ゴッホがその部屋に飾ろうと思って描いた作品だ。ひまわりは、太陽を象徴する花で、南仏の陽光を表現するのにぴったりの花であること。また、画家仲間との共同体を夢見たゴッホにとって、希望溢れるユートピアを象徴する花でもあったと言われている。結局、唯一訪れてくれたゴーギャンとも、早々に喧嘩別れをし、ゴッホは衝撃的な“耳切り事件”を起こしたのち、精神病院に入院することになる。

ゴッホの花の絵では、そのひまわりの絵が、ゴッホを象徴する代表作として知られる。一方で、ゴッホは他にも様々な種類の花の絵をたくさん描いている。モデルを雇うお金がなかったことや色彩を学ぶためといった理由から、数々の花の静物画を描いたこともあったそうだ。花という優しいモチーフゆえか、静かで落ち着いた雰囲気の絵も多く、抑制の美のような魅力がある。そんなゴッホの花の絵のなかでも、惹きつけられる作品として、ゴッホが亡くなる年、サン=レミの病院で療養しているときに描かれた、『花咲くアーモンドの木の枝』がある。

青い空を背景に咲く、桜によく似たアーモンドの花。この『花咲くアーモンドの木の枝』は、1890年、ゴッホの数少ない理解者で、支援者でもあった弟のテオのもとに息子が生まれたことを記念し、ゴッホが贈り物として描いた絵だった。アーモンドの花は、いち早く春の到来を告げる新しい命を象徴する花でもある。この花を選ぶことで、ゴッホは新しい命への希望や祈りを込めたのだろうか。テオのもとに子供が生まれ、また、その子にゴッホと同じ名前をつけるという報告もあったことから、ゴッホは喜びの想いを手紙に綴っている。

しかし、同時に、精神的な病を抱え、独身で誰も頼れないゴッホにとっては、そのことによって弟からの自分に対する援助がなくなるのではないか、という不安もあったようだ。それゆえに、祝福や嬉しさだけでなく、複雑な感情が心の内に渦巻いていたのかもしれない。そう考えるといっそう、その花は、切なくも美しく見える。