モネ『印象・日の出』

クロード・モネ
印象・日の出  1873年

霧に包まれた、ぼんやりした日の出頃の光のなかに、海と数隻の船、それから港が描かれている。クロード・モネの『印象・日の出』。発表された当初こそ、「印象を描いただけの未完成な絵」と揶揄するようにして酷評されたものの、後に、印象派を象徴する作品として、歴史に名が刻まれることになる。

印象派とは、19世紀後半にかけてフランスのパリで起こった芸術運動のことで、当時30代だったモネやルノワール、ドガなどの若い画家たちが中心となり、権威的で古典的な美の価値観に対し、彼らは新しい美を提示した。その頃、国の公的な美術機関が実施する展覧会のサロンが、唯一まとまった作品展示の場であり、このサロンで認められることによって、将来が約束される画家となる、といった形が出来上がっていた。

この時代の権威的な美とは、画題に神話や歴史などが用いられ、ルネサンス以来の遠近法によって描かれているような絵を指した。簡単に言ってしまえば、立派な権威をまとった、ちゃんとした絵のみが、正当な美術として評価される、という構造だったのだろう。

一方、印象派は、より主観的に、自分の見たままの印象を重んじ、その瞬間の光を捉え、また、ありふれた田舎の風景や都市の日常をモチーフにするといった特徴があり、権威的なサロンに対する、独創的な若い画家たちによる抵抗の意味合いの強い運動だった。

1874年、モネたちは、サロンではなく、自分たちの手で小規模の展示会を開き、発表の場を自ら用意した。これが印象派の始まりだった。この展示会は、今では「第1回印象派展」と呼ばれているものの、開始当初は、「印象派」という言葉はなく、もっと事務的な名前(「画家、彫刻家、版画家などによる共同出資会社の第1回展」)だった。この第1回展に展示された、モネの『印象・日の出』の題名にある、「印象」という言葉が、批評家によって批判の材料として使われ、結果として、「印象派」という名称に繋がった。そのため、このモネの絵は、「印象派という名称の由来となった作品」として知られている。

作中の舞台は、モネが少年時代に過ごした、フランス北西部のノルマンディー地方のル・アーヴル港で、日の出のその瞬間にモネの感じ取った“印象”が描かれている。それは既存のアカデミックな価値観からすると、未完成で無意味な絵のように映ったのだろう。また、印象派の特徴の一つとして、筆触分割という手法がある。これは、絵の具を混ぜて使うと発色が悪くなることから、それぞれの色を、混ぜることなく並置し、その両者の色を鑑賞者が見ることによって、認識する際に混ざることでより輝いて見える、というものだ。

こんな風に、光の捉え方や絵のモチーフ、描き方など、様々な斬新さが印象派にはあったものの、なにより革新的だった点として、「世界の見え方を一変させた」ということが言えるのではないかと思う。

客観的で公的な美の価値観とは、すなわち、「世界はこう見える」ということであり、もっと言えば、「世界はこう見るべきだ」というニュアンスが込められている。しかし、印象派は、「あなた方が押し付けるようには世界を見ない」「私はこう見る」と、「私」の感性を強烈に打ち立てる。それゆえに、モネの『印象・日の出』を筆頭に、印象派の絵画は、既存の権威からすれば、根源的に許し難い存在として、激しい拒絶反応を起こさせたのかもしれない。