庄田耕峰
A Country Scene 20世紀前半
英語の「I love you」を、「月が綺麗ですね」と訳した、という夏目漱石の有名な話がある。これは詩的な伝説ではあっても、本当にあったことかどうかは定かではなく、この逸話を誰が言い出したかも不明という謎の多い話で、それゆえにいっそう惹きつけられるものがある。
昔の武将の“名言”と呼ばれるような言葉も、実際は本人が言ったかどうか分からない、といった注釈をときおり見かけ、また現代でも、有名人の嘘か本当か分からない伝説があっという間に広まるように、漱石の「月が綺麗ですね」という話も、「いかにもありそうだ」ということもあって広がり、定着していったのかもしれない。
いずれにせよ、確認できる範囲でも50年近く前から存在し、今なお語り継がれているということは、「I love you」を、「月が綺麗ですね」と翻訳するという表現そのものが、もう一つの文学作品のようになっているのではないか。もしかしたら、夏目漱石という部分は知らずに、「I love youが、月が綺麗ですね、と翻訳された」という話だけは知っている、という人もいるかもしれない。それくらい、この飛躍には力があるように僕は思う。
そもそも、一体なぜ、「月が綺麗ですね」という言葉が、「愛している」という意味合いになるのか。個人的には、その空気の共有そのものが、愛である、という感覚があるからではないかと解釈している。空に綺麗な満月が見える。夜道を二人で歩いているのか、それとも、土手に座っているのか。優しい沈黙の先で、ふと、「月が綺麗ですね」と言う。それだけで十分で、それ以上は、もう言わなくても分かる。そういった意味合いゆえに、この話も生まれたのではないか、と。そして、たとえ夏目漱石が言ったものではなく、別の誰かが考案したものであったとしても、この話は、すでに相応の詩的な深みを持っている。
もちろん、月夜が持っている情緒も、この話に彩りを添える。和歌でも、月はよく詠まれ、古い絵でも、月夜の絵はよく描かれる。たとえば、僕の好きな月夜の風景の絵に、庄田耕峰という版画家の作品がある。静かに川が流れ、揺らぐ水面に木の影が映っている。奥には民家の屋根らしきものが見え、空には満月が枝先に少し隠れるようにして浮かんでいる。「月が綺麗ですね」と告げることが愛である、という詩情が、この月夜の絵の空間的な静けさからも伝わってくる。
庄田耕峰が、どういった人物なのか、画集や専門書もなく、情報は少ない。明治から大正時代にかけての版画家で、尾形月耕に師事し、新版画の画家としても活動した、ということは分かっている。英語圏のほうが情報が多く、日本よりも作品は知られているようだ。この絵も、知る限り、『A Country Scene』という英題しか残っていない(“with moon”や“with full moon”とつく場合もある)。もともと海外向けに販売されたものだったのかもしれない。長谷川武次郎という新版画の版元による、『The Night Scene Series』という静謐な日本の夜景を描いたシリーズがあり、その一つが、この庄田耕峰の作品だったようだ。