パウル・クレー『忘れっぽい天使』

パウル・クレー
忘れっぽい天使 1939年

一見すると、なんの絵なのか掴みづらい。人の形はしているものの、人間ではないようにも思える。目は伏し目がちで、どこか微笑んでいるような、諦めているような、なんとも言えない表情をしている。それから、肩なのか背中の辺りから羽のようなものが生えている。

これは、スイスの画家パウル・クレーの『忘れっぽい天使(原題はドイツ語でVergesslicher Engel)』という晩年の作品で、この題名を知れば、なるほど、それが天使なのだと分かる。そしてもう、確かに天使だとしか思えなくなる。

クレーは、音楽的・色彩的な抽象表現が特徴で、言語以前の世界のような独特の作品を残した。晩年には、病によって手があまり動かなかったこともあり、簡素な線による天使の連作を描き、その一つに、この『忘れっぽい天使』もある。もともと天使がモチーフとなることはあったものの、この頃、忘れっぽい天使の他、いくつもの天使の絵を描いた。クレー自身は、この天使たちに込めた意味については特に語ってはいないようだ。ただ、時代背景としては、ナチスの迫害を逃れ、故郷のスイスに亡命し、また病の関係もあり、死が迫っていると予感される時期に集中的に描かれている。

この作品は、余韻のある絵や祈りのような崇高さだけでなく、その詩的な題名も、より惹きつける魅力になっているように思う。「忘れっぽい」と「天使」の組み合わせが、すでに一つの詩のような響きを持っている。忘れっぽい天使が、優しげに微笑んでいる。笑みには、ほのかに切なさもある。造形的に可愛らしく、愛くるしさもあり、切なさと可愛さが絶妙に調和している。

この忘れっぽい天使以外にも、クレーの天使シリーズの作品はたくさんあり、たとえば、『泣いている天使』や『鈴をつけた天使』も心に残る好きな天使だ。

パウル・クレー
泣いている天使 1939年

パウル・クレー
鈴をつけた天使 1939年

天使たちは、無邪気な子供のようでもあり、そのこともあってか、泣いている天使の涙は、見ていると胸が苦しくなる。涙の理由は分からないものの、自分の代わりに泣いているような感覚にもなる。鈴をつけた天使は、足を振り上げて歩く。鈴が鳴っているのだろうか。その鈴のほうを眺めながら、なんだか満足そうにも見える。

こういったクレーの天使たちをもとに、詩人の谷川俊太郎さんが詩を書いた、『クレーの天使』という詩集がある。谷川さんの詩のなかで、天使たちは無邪気に儚く息づいている。

わすれっぽいてんしがともだち
かれはほほえみながらうらぎり

すぐかぜにきえてしまううたで
なぐさめる(『忘れっぽい天使』より)

てんしはわたしのためにないている
そうおもうことだけが
なぐさめだった(『泣いている天使』より)

すずをつけたてんしにくすぐられて
あかんぼがわらう(『鈴をつけた天使』より)

谷川俊太郎『クレーの天使』

天使と言うと一神教的世界の神の使いで、個人的にはちょっと縁遠い存在でもあるものの、クレーの描いた、特にこの三つの絵の天使たちは、その辺りに息づいているような、あるいは自分自身でもあるかのような不思議な親しみを覚える。