名言 中原中也
彩図社文芸部 2010年
中原中也は、30歳という若さで亡くなった。破天荒な詩人ではあったものの、自殺というわけではなく、神経衰弱に悩まされながらも必死に生きた末の病による最期だった。当時は、ほとんど無名だったということもあり、彼の生きている頃の映像や声の記録は残っていない。中也は、よく友人らの前で、自分の詩を感情を込めて朗読したと言う。しかし、そのたびに周囲は辟易し、場は白けたそうだ。中也の死後、友人の一人である青山二郎は、その声を残しておけばよかったと語っている。そのため、中也の動いている姿や声については、周囲の人々の思い出や手紙から想像する他にない。ただ、それゆえによりくっきりと一人の詩人の姿が浮かび上がってくるようにも思う。
その記録に残っていない中也の「声」を、別の角度から浮かび上がらせようというある種の試みとして、彩図社文芸部が出版した、『名言 中原中也』という本がある。この本は、中原中也の日記や手紙、また彼の死後、家族や友人らが中也との思い出について語った文章から、中也本人の「肉声」だけを纏めた、一風変わった「名言集」であり、「友人の章」から始まり、恋人、幼少、芸術、文也(中也の息子で、幼くして病死する)、生活、母親、最後に名詩十選という構成になっている。
選ばれた言葉もバランスがよく、横に小さく書かれた注釈も絶妙で、中也の人となりが、しみじみと伝わってくる。本来なら、「名言」という範疇からは外れるだろう言葉も、中也の人物像を表現するに当たって欠かせない要素となっている。たとえば、友人の小林秀雄の雑誌連載が決まった際の一言、「やった」や、恋人だった長谷川泰子への手紙に綴った一節、「自分自身でおありなさい」など、感情的な言葉から詩的な一言まで、一人の人間を描き出す、様々な「声」が載っている。
中原中也の詩は、小林秀雄が「詩人というよりも告白者だ」と表現するように、彼の生活と分かち難く結びついていた。中也の「肉声」を聴いたあとで詩を読むと、まるで大ぶりの椅子にあぐらで座って得意げに、そしてどこか寂しげに朗読する詩人の姿が浮かんでくるように思えてくる。