ヨー・ファン・ゴッホ=ボンゲル
フィンセント・ファン・ゴッホの思い出(翻訳 吉川 真理子) 2020年
ゴッホという画家がどんな人物だったかを、まるで身近な存在のように、一人の人間として知るのに適した伝記に、ヨーによる『フィンセント・ファン・ゴッホの思い出』がある。書かれたのは1913年。作者のヨー・ファン・ゴッホ=ボンゲルは、画家ゴッホの義理の妹に当たる。
ゴッホについて説明する際、よく孤独や狂気、天才といった表現が使われる。それは作品の雰囲気やエピソードが、その印象を与える大きな一因になっているのだろうし、その側面も確かにある。一方で、より人間ゴッホのことを伝えるのに、手紙も引用しながら義妹によって語られるゴッホの話は、血の通った、胸に迫る一つの人生として読むことができる。
ゴッホには、その気難しく売れない画家であった兄を様々な面で支え続けたテオという画商の弟がいた。ヨーは、このテオの妻である。しかし、1890年、37歳でのゴッホの自死から、わずか半年後、その悲しみもあり、テオもまた若くして病死することになる。
一人息子とともに残されたヨーは、無名の芸術家で、(思慮深さもあったとは言え)精神的に不安定だった義兄の作品や手紙を捨てることはなかった。それどころか、ゴッホの作品や手紙を整理し、世の中に知ってもらおうと奔走した。ヨーがいなかったら、ゴッホは、今のような「ゴッホ」ではなかったかもしれない。
ヨーは日記に、次のように書いている。「子供のほかに、テオは私にもう一つの使命を残した──フィンセントの作品を多くの人に見てもらい、真価を認めてもらうこと」
この伝記も、その使命の一環であり、ヨーが語るゴッホの思い出は、数少ないとは言え実際に会ったことがある家族として、温もりのあるまなざしが伺える。
伝記からは、神格化された遠い存在としてのゴッホではなく、また歴史上の人物のように知識として学ぶというのでもなく、孤独や寂しさ、どうにもならない感情に苦しみながら生きた、一人の若い芸術家の存在が伝わってくる。また、家族の側のゴッホに対する心配や想いも垣間見える。だから余計に、切なく沁み入るものがある。
特に、ゴッホの死からまもなく、テオが母に送った手紙のなかに綴られている言葉からは、生きていた頃には苦労もありながらも、それでもずっと支えた、兄への理解と愛情に満ちた悲痛の叫びが感じられる。
──どれほど悲しいか、ことばでは書けない。そしてなにも慰めにならない。この悲しみはぼくが生きている限り続くだろう。いっときも忘れることのできないものになるだろう。ひとつだけ言えることがあるとすれば、彼はずっと求めていた安らぎをやっと手に入れたということだね……(テオ)