印象派の絵

美術に興味を持ってから、割と序盤で好きになったのが、印象派だった。宗教や神話が描かれる古典的な絵画や、シュルレアリスムの絵よりも、感覚で捉えられるという点でもすっと入ってきたのだと思う。印象派は、浮世絵の影響という文脈で語られることも多く、また光や色彩を重視した風景画は受け入れやすいこともあり、日本でも親しみがある。

印象派は、19世紀後半のパリが発祥で、国家主宰のサロンという美の権威に対抗するために、若い画家たちによって始まった芸術運動が発端となっている。背景には、保守的な権威であるサロンと、 新しい美の価値観を掲げる印象派という対立構造があり、今でこそ歴史に残る名作とされるモネらの印象派の作品も、当初は激しい批判を受けた。遠近法を用いた世界で、神話や歴史などを主題とした絵画が、サロンにとっての美であり、その崇高な美しさと比較したら、主観的で瞬間を収めるような印象派の絵は、未完成で未熟なものと捉えられたようだ。

クロード・ロラン
海港 1644年

クロード・モネ
印象、日の出 1872年

オーギュスト・ルノワール
ムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏会 1876年

印象派、という名称も、若い画家たちが自分たちで開いた小さな展覧会に出展したモネの『印象・日の出』の題名を、評論家が皮肉混じりに使って、彼らの作品は単なる印象を描いているだけ、と揶揄したことが由来になっている。そのため、当初から、画家たちが自ら、「我々が“印象派”だ」と掲げて立ち上げたものではなかったものの、ある程度一つのグループとなって運動を起こしたことは確かで、この展覧会も、印象派展と呼ばれるようになる。

印象派の特徴としては、絵の具を混ぜずに異なる色を並べて置く「筆触分割ひっしょくぶんかつ」という技法によって光を再現しようとしたり、チューブ入り絵の具の発明によって屋外で描く絵が増えたり、見たままに自分の印象を描く、といった点が挙げられる。

また、印象派が生まれる土壌として、時代的な背景の影響も強く、たとえば、写真の発明も関係したと言われる。この時代には、写実主義的な風景画も増えてきたものの、19世紀前半に写真が発明されたことから、画家は、ただ目の前の現実を「客観的」にそのまま描くのではなく、写実ではない表現と向き合うようになる(文明の発展と芸術とが衝突するという点では、現代のAIに関する問題とも同じことが言えるのかもしれない)。

一方で、主観的に、見たままに描くということは、それぞれの個性がいっそう際立つということでもあり、印象派と一括りにしても、必ずしも皆が同じような絵になったわけではなく、印象派の主要画家として、モネやルノワール、セザンヌ以外に、シスレー、ピサロ、ドガ、モリゾなどがいるが、戸外の移りゆく光を求めたモネと、社会の暗い側面を描いたドガ、柔らかい色合いで家庭的な日常を掬い取ったモリゾなど、それぞれのモチーフや表現がある。

また、セザンヌに関しては、途中から印象派の画風を脱却し、より独自の道を歩んでいったこともあり、芸術史的には、「印象派の後」という意味で、「ポスト印象派」と括られる。ポスト印象派は、印象派の画家たちの影響も受けつつ、その後年の世代でもあり、ゴッホやセザンヌ、ゴーギャンといった画家が挙げられる。

ポール・ゴーギャン
我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか 1897-1898年

フィンセント・ファン・ゴッホ
星月夜 1889年

ちなみに、よく「印象派の父」として名前が挙がり、モネと名前がこんがらがりがちのマネは、印象派には含まれない。マネは、彼らよりも若干世代も上で、また本人としても、権威に逆らって新しい絵画運動を起こすのではなく、あくまでその権威のなかで評価され、成功したい、という思いがあったようだ。

ただし、マネは、『オランピア』や『草上の昼食』など、大胆で挑戦的な絵を出展し、激しい批判を受けたこともあり、マネの存在が、若い印象派の画家たちに多大な影響を与えていたことから、「印象派の父」と称されている。